これからの自己表現って?
どうも、あなごです。
月曜ってなんでこんなに忙しいんでしょうかね!
月曜日の残業率が高くて、それをブログ不更新の言い訳にしようと思ったんですが、カッコ悪いのでやめました。
というわけで気合で書きます。日付変わるまであと40分。
御存知の通り、新型コロナウイルスの流行で、舞台業界は一気に様変わりしてしまいました。
我らがエイトビートも、舞台公演が中止になり、今では動画を作ってアップしたり色々模索している最中です。
日々新聞やネットニュースにはできるだけ目を通すようにしていますが、
今日面白い記事を見つけました。
若者を見ればわかる「アフターコロナに爆発する7つの新しい価値観」 https://president.jp/articles/-/36131
電通の研究部門が調査した若者の価値観についての記事なんですが、
結構面白いことがかかれていて、
特に注目したいのは、視聴者がいなくてもライブ配信をする若者、ネタ切れを起こしたInstagramですね。
コロナ影響下でとっても困っていることの一つは、ブログに載せる写真のネタがなくなってくることなんですが、
このネタ切れのInstagramと同じですよね。
どこに行って、何を食べて、などの自分の外側の要因、客体を使ったアプローチには限界があるのではないか、という話です。
もちろん、写真や映像を生業とする人を否定するわけではありません。
そうした人たちは、客体に自分の感情や感性を乗せるわけですから、それは立派な自己表現だと思います。
しかし、ごくごく一般的なインスタグラマーはそうではないだろう、と。
そうした体験のシェアは、体験がなければ成立しないので、
こうしたことが起こってしまうわけですね。
これからの時代、特にこのコロナ禍の中で、
そうした外のものに頼るのではなく、自分の内にあるものをどれだけ外に出すことができるのか、自分自身で価値を生み出すことができるのか、
それが今問われているのではないか、と思います。
そして、情報通信を使い、自らが能動的に社会に繋がっていくことがこれからのトレンドになるのでしょう。
さぁ、そんなとき、自分はどうだろうか。
これを読んでいるあなたも、そんなドキリとした気持ちを持ちますか?
あなごは、そんな怖さを感じています。
自分が空っぽの存在なんじゃないかという恐怖。
なにかをしていかないと、社会に取り残されるんじゃないかという恐怖。
日が変わるまであと20分。日付が変わるまでにブログを書き終えられるのだろうかという恐怖。
Stay Homeが浸透し、
基本家にいることで、人の目を気にするという環境から遠のいている人が多いと思います。自分もそうです。
そうした中で、価値観が客観的なものから、主体的なものに変わってきている。
人がどう思うか、よりも、自分がどう思うか。
まぁ、こんなことを書きながら、
結局、自己表現っていうのは、
自分の考えをカタチにするものであって、
昔からそれは変わっていないんだなぁって思いました。
今は、それが顕著になっているだけなのでしょうか。
さぁ、そんな中で自分はどうしたいのか、
何を持って、何を考えているのか。
お地蔵様、教えてくれませんかね?
「知るか、自分で考えろ」
月曜担当 長島弘志