怒りを込めて振り返れ
そういえば、私、土曜日担当でした。面目ない。ごめんなさいです。
今週からは必ず!いや、なるべく!………たまには。
書いていきますのでよろしくお願い致します。ホントごめんね。
ウェブリーダーあなごからの叱責が怖い………。
先日、新国立劇場にて、ジョン・オズボーン執筆、『怒りを込めて振り返れ』を観に行ってきました。
ご存知ありますでしょうか?演劇の本場、イギリスにて。センセーショナルに当時のアクターシーンを席巻した、1900年代を代表する一作。
今の時代ですら、おおよそ演劇の教科書と呼べるものには必ず名前が記載されている、その一作。
私は。
一切。
知りませんでした(笑)
いや、待て。
(笑)なんてつけてる場合じゃないぞ。
シェイクスピアでもチェーホフでも、例え宮沢賢治でも。
それを仕事としている以上、知らぬ事自体が罪なのだ。
いや、罪というのは妥当な言葉ではないかもしれない。きっと、『愚か』なのだ。
それはまるで、クラシックを語るならばブラームスを、酒を語るならばワインを、ダンスを語るのならばマイケル・ジャクソンを、ロックを語るならビートルズを。(ビートルズに関しては特に波紋を呼びそうだなぁ………)。
それらを饒舌に語れなければ、およそプロと言われる業界に立ち向かえないのと似ている。と言うか、話す価値なしとさえされる。あぁ、まさしく、『愚か』だ。
言うなれば、知ってて、当たり前なのだ。
そんな、教科書に載っているような、時代を越えて普遍的に支持されている作品を、幸運にも先日観る機会があった。
それこそが、『怒りを込めて振り返れ』である。
あのさ。ちょっといいかな?
ここは少しばかり無分別に。言葉を選ばず、言わせてもらえないだろうか。自分には、それ以上表現する術がないのだ。
正直に言おう。
自分を殺したくなった。
新国立劇場という、ほぼ日本最高峰と言われる舞台で、自分よりも遥か高みで、そしてそれは、志し的にも、技術的にも、本当に遠くて。しかし演者は俺とそう変わらない年齢で。
分かってたんだ。分かってたんだよ。
自分がそのレベルに無い事は。
面白いさ。面白いよ。最高だよ。意地さえ無ければ直立不動スタンディングオベーションさ。でも、自己嫌悪と歯軋りで立てないんだよ。
観終わった後、心地好い『余韻』と、『後悔』と、『希望』と、『プライド』で、ただただ下を向きながら、拳をぎゅっと握ってた。
なんとも言えない気持ちのまま帰路についた。
でも。余韻も絶望も、段々と抜けていく。こちらの意思とは無関係に。『抜けないでくれ!まだ考えたい!』と思っていても。
その舞台を観た当日の話しだぜ?俺でも自分が信じらんねーよ。
覚えていたい!覚えていたい!と思っていても、考えたい、浸りたい事象は、指の隙間からこぼれ落ちていく。
ジミーの怒り、クリフの善意、アリソンの苦しみ、ヘレナの道徳。
右足を出し、左足を出す。たったそれだけの事や。
自販機から飲み物が落ちる音。
でかい笑い声が。
コンビニの入店音が。
全てが俺を、現実に戻しにかかる。
戻しにかかるというか、実質リアルに現実だからどうしようもないんだけど。
それが、堪らなく、悔しい。
下手をすれば、明日にも、この気持ちが薄れてしまうんじゃないかという悔しさと、恐れ。
『自分の演劇に対する真摯さが足らないんじゃないか?』
そう思い、自分を叱咤しつつも、そんな自分を許したいと心の何処かで、間違いなく免罪符を求めている。
と、思考が定まった所で、いよいよ救いようがないな自分。と思う訳です。
いや。
終わらないよ。
ここまで挫けたらさ。しょんぼりしたらさ。
それこそ本ッ当に悲しいままで終わるんだ。
でも、あくまで自分本意の話でしかないけども、好きなんだ。やりたいんだ。
観とけよレディース&ジェントルメン。
意地かもしれない。負け犬の遠吠えかもしれない、根拠なんて幾ばくもない。
でも俺はやるぞ。
目に見えぬ軋轢も、関係性も、悩みも苦渋も、そしてなにより。
希望さえも。
『そう言ってる自体がアマチュア。』だって?
知ったことか!
それでもやりたいんだよ、俺は。
貴方が観た結果が、何より雄弁な『全て』だ。
エイトビート次回作、是非。
なんだかんだ。観たヤツが正義だ。
土曜日担当 ロッチ