赤道の下のマクベス
先日演出家である河田園子氏から、エイトビートに対し宿題が課されました。
「コロナの影響で舞台やれなくて暇やろ。この戯曲読みーや。『赤道の下のマクベス』。」
は、はい!
で、読んだのですが。いやー、この戯曲。インパクトありました。
1947年のシンガポール「チャンギ刑務所」。
そこで第二次世界大戦のBC級戦犯として死刑を待つ日本人と元日本人である朝鮮人。
立場も産まれも罪もバラバラ。そんな彼等が死に向かって過ごす、刑務所の様子を描いた戯曲です。
戦時や戦後のお話って、すごい難しいと思うんですよ。国によって、立場によって、主張してる事が違う場合が多いからです。人の命をお金や罪で賠償しても、納得出来ない人はたくさんいます。
だからどんな作品を作っても、不快に思う人が出てきてしまいます。人によっては「朝鮮」というワードが出てきただけで身構えてしまうほど。
これは個人的な想いなんですが、人を不快にさせてしまうこと、その気持ちを伝えられる事がとても怖いんですよ。
だから、もしも俺だったら、企画段階でこの「赤道の下のマクベス」のような作品があがってきても正直ビビってやりたがりません。
でもこの本を書いた人や、この公演を打った企画は、ビビらなかった。それはきっと、演劇の意義を持っていたからだと思うんです。
例えばですが、前に演劇とはなにかと問われた事があります。
俺は「娯楽」と答えました。日本において演劇は生活必需ではなく、生活に寄り添い、人の感性を豊かにするものであるからという思いで答えました。
でもある大先輩は「闘争」と答えました。
これびっくりしました。
その人にとって演劇は「国や人に自分の想いを届けるツール」であり、「世界を変える手段」だったのだと思います。
多分あの人は、観劇後不快に思ったという人がいても何も思わない。………訳ではないと思いますが、自分の行う演劇に対し強い意義を持っているので、きっとそれでもやり続けるのでしょう。
もちろん多少なりとも配慮は必要です。必要ですが、「それを押してでもやる」という強い意志は、表現者にとってきっと必要なんだなぁと思いました。まずはその強い意志を持つ為に、たくさん勉強しなきゃですね。
エイトビートの過去公演であるBIRDMENやFIVESTAR。そしてこれから行われるであろう新作。
今一度勉強し、過去と向き合い、役者としてしっかり舞台に立とうと思います。
エイトビートの公演を皆さんにお見せ出来るのはまだ少し先になってしまうかもしれませんが、もう少し待っててね。
スグロ