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モーニングダンディー

このブログでは、普段、僕の思いをかなり自由に書かせてもらっているなと思っている。

何かを好きだ。というのに始まり、嫌いなことや、許せない事までもだ。

公式とは言えブログなのだから、ある程度は自由に書けるのだけど、もしかするととても不快に思う方もいるのではないかと思った。と言うのも、特に今日書こうと思っているテーマが、そういう人がいてもおかしくないだろうと思ったからだ。

もしかしたら不快に思わせてしまうかもしれない。

だからテーマを知って、少しでもそうなってしまうかもと思うなら、そのままページを閉じて欲しい。

今回に限らずね。

さぁ長い前置きはこれぐらいにして、いってみようか。

『人の死について』だ。

人は死ぬ。歳とってようが若かろうが、男だろうが女だろうが、無神論者だろうが神父だろうが、優しい人だろうが犯罪者だろうが、平等だ。そして平等だからこそ理不尽だ。

なんであの人が、この人が、って。

僕の祖父は既に他界している。
そういやもう10年以上経つのか。

僕は本当におじいちゃんの事が大好きで、役者になる時や、進路を決める時など、親より先におじいちゃんに相談するほどだった。

役者になりたいと相談した時、
『達くんの好きなようにやれ。なにか困ったらじいちゃんに任せとけ。』と言って、優しさと誠実さと、強い意志のこもった声で、応援をしてくれた。本当に暖かい人だった。

しかし結果、俺の舞台を一度も見せられないまま、祖父は他界した

それから仏壇に手を合わせる度に、今の役者という仕事の状況や、嬉しかったこと、苦しかった事を報告するのが、僕の約束になった

まだまだ26のガキんちょだけど。
あれから1つ1つ、歳をとる度に思う。

『今』話したかったな、って。

子どもの頃には分かり合えなかったこと。『今だからこそ』話せること。
それこそ、日本酒でも傾けながら。

なにか助言が欲しいとか、助けて欲しいとかじゃなくてさ。純粋に、たくさん話したいなと思うんだ。

でもそれは叶わない。

しかし。しかしだ。もう居ないとは言え、魂としてなら居るのだろうか?幽霊みたいなさ。

いて欲しいなと僕は思う。仏壇に手を合わせて念じれば、声が届いてたらなと思う。

何かの時に聞いた言葉で、納得した言葉があった。

『死後の思想や儀式の全ては亡くなった人の為では無く、生き残った人間の為に存在する』

なるほどなと思った。
全ては、生き残った人間の願望なんだろうなと。

声が届いて欲しい。
安らかな眠りについて欲しい。
見守っていて欲しい。
たまには帰ってきて欲しい。

これ等は完全に生きている人間の願望だ。
でも、それで全然良いと思うんだ。
例え死後の世界が無くたって、魂なんて無くたって、願わずにはいられない。

亡くなった方への尊敬も、感謝も、願いも、後悔も、割り切って捨てられるほど、僕は器用じゃない。
無神論者が都合良くなに言ってんだ、って話だけど(笑)

そもそも『死後の世界』や『魂』そのものが都合の良いものなのだから、よしとしようじゃない。


僕も貴方も、いつか死ぬ。

あと100年後の地球には、今生きているほとんどの人間は居なくなっている。

それでも文明や文化は、途切れる事なく進んでいく。

でも願わずにはいられない。

何かをして欲しい訳じゃないんです。

ただ、見てて欲しい。でも俺が悪い事した時には、都合良く目でも伏せといて欲しい。
そして死後の世界があるならば、魂が存在するならば、その世界に日本酒があるならば、俺が逝ったならば、一緒に一杯やりたいね。


もう居なくなってしまったからこそ、今ここにいる自分の想いは、やっぱり、限りなく自由だ。

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土曜日担当 勝呂達基

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