ロッチの3日目宝くじを見てみる
仮に、仮によ。
1億当たったらどうします?
いや1億なんてケチくさい。ここは5億。5億当たったらどうします?
仕事辞めても、遊んで暮らすにゃ充分の額です。実際高額当選しても、仕事を手放す人はごく僅かの様ですが。
もし宝くじで5億当たったとしたなら。想像してみよう。
まず当選番号をチェックします。
買った宝くじと見合わせて、一枚ずつチェックします。
『どうせあたんねーよ』と心の内で外れた時の保険をかけつつ、コーヒー片手に見合わせます。しかしその実深い所では確かに、当たる希望を持っています。
そして出てくる、一見当選番号と一致しているような宝くじ。
いやいや、そんな、まさか。さすがに、なぁ?
希望を持っていたハズなのに、僅かでも想定していたハズなのに、まるでイレギュラーが起きたかのように、心に少しずつさざ波が立ち始める。そしてそれは、ほんの3秒ほどの間だっただろうが、ゆっくりと、しかしとても早く増大していった。
ここでふと気付く。どうやら自分の心は、希望と、期待と、驚きが入り雑じる中で、確かに不安という感情にも動かされているようだ。これもまた、心理学上での吊り橋効果のようなものなのだろうか。今高鳴っている心臓と、自分の感情は、必ずしもシンクロする訳では無いのだと驚かされる。
少し深呼吸をする。コーヒーカップを口に持っていったが、やはり寸前で飲むのをやめた。別に理由があった訳じゃない。もう一度見返す。
………。どうやらまた『一見する限りでは』当たっている。
ここで期待が、更に希望へと傾き始める。それと同期するかのように、不安もまた音をたてて大きくなった。しかし、待て。宝くじが当たるなんて、それこそ天文学的な確率だぞ。まだ、いや、まさか。
今度はちゃんと深呼吸をした。コーヒーもちゃんと飲んだ。大丈夫。いつも通りだ。
これが、最後だ。
………。当たっている。
確かに当たっている。組も、ただの6桁の数字の羅列も、静かに当選している事を物語っていた。
そしてしばらくの間、脳は考えることを放棄した。
1分ほど経った後、残り少なくなったコーヒーカップが目につき、もう一杯入れ直そうと、ヤカンを火にかけた。
それを待つ間、タバコでも吸おうかと、こちらにも火をつける。瞬間。
脳が心に追い付いた。
怒濤のように脈打つ心臓。
全ての毛穴が開き、まるで身体中を電流がかけ抜けたかのような戦慄。
一定の箇所にとどまる事をしない視線。
一度も吸っていないタバコを灰皿に起き、くどいとは分かりながらももう一度チェックした。
何度見ても変わらない数字に、喜びと、そして同じぐらいの絶望を味わいながら、呆ける訳ではなく、今度は脳が高速で現実を処理し始めた。もう視線は動かない。端から見れば物言わぬ人形のように見えただろう。少しずつ、脳は現実に近付いた。ただ8つの数字に、随分と長い時間を費やしたなと、皮肉の笑いが口元を型どった。
何とはなしに天井を見た。そして何とはなしに、目を瞑った。
沸騰したヤカンは高い音をたて、一度も吸っていないタバコは、その役目を果たす事なく、既に灰だけになっていた。
と、なる事でしょう。
………なげーよ!
ここそんな大事じゃねーだろ!
いやなんか書いてたら止まんなくなっちゃったんすよ。
つまり何が言いたいかと言うとだ。
これからサマージャンボをチェックすると、そういう事だ。
上に書いたのはあくまで想像。果たしてこれが正しいのかどうか、それがこれから分かるかもしれない訳だ。
まず宝くじの当選番号をチェックします。買った宝くじと見合わせて、一枚ずつチェックし………。いややめよう。絶対また長くなる。
では結果のみで。
…………はい、ハズレー。
8月毎日担当 ロッチ